衛生管理者 労働衛生(有害業務) 問32:職業性疾病
有機溶剤各種の特異的な健康影響に関する次の記述のうち、**正しいもの**はどれか。
- アノルマルヘキサン(n-ヘキサン)は、慢性吸入曝露により主として肝臓に強い毒性を示し、重篤な肝障害・肝硬変を引き起こすことが知られている。
- イトルエンは、急性曝露では中枢神経抑制(頭痛・めまい・意識障害)を引き起こすが、慢性曝露による特異的な末梢神経障害は認められておらず、肝・腎毒性が慢性毒性の中心である。
- ウクロロホルム(三塩化メタン)は、中枢神経抑制作用に加えて、肝・腎への特異的な毒性を持ち、慢性曝露により肝臓の変性・壊死を引き起こす可能性がある。正答
- エ二硫化炭素(CS₂)は、主として上気道・気管支に選択的な毒性を示し、慢性吸入曝露では気管支炎・肺気腫が主要な健康障害として現れる。
- オメタノール(メチルアルコール)は、体内でホルムアルデヒド→蟻酸へと代謝されるが、蟻酸の毒性は弱く、大量摂取の場合でも主として肝機能障害が問題となる。
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正しいのはウです。クロロホルム(三塩化メタン)は中枢神経抑制作用に加えて、肝臓と腎臓への特異的な毒性(肝腎毒性)を持ちます。慢性曝露では肝細胞の変性・壊死が生じる可能性があり、これは職業医学的に確立した知識です。
各選択肢の誤りの要点:ア→n-ヘキサンの主毒性は末梢神経障害(肝障害ではない)。イ→トルエンの慢性毒性の中心は中枢神経症状であり、「肝・腎毒性が慢性毒性の中心である」とする記述は誤り(肝・腎への影響はあるが中心ではない)。エ→二硫化炭素の毒性は上気道ではなく多臓器(中枢神経・末梢神経・心血管・生殖)が主。オ→メタノールの蟻酸毒性は弱くなく強い(視神経障害・代謝性アシドーシスの原因)。
有機溶剤各種の特異的健康影響の比較:
| 有機溶剤 | 急性毒性(主) | 慢性毒性の特異的標的 | 代表的な職業性疾病 |
|---|---|---|---|
| トルエン・キシレン | 中枢神経抑制 | 肝・腎障害(軽度) | 有機溶剤中毒(中枢型) |
| n-ヘキサン | 中枢神経抑制 | 末梢神経障害(多発性神経炎) | 多発性末梢神経炎 |
| 二硫化炭素(CS₂) | 中枢・末梢神経 | 多臓器(神経・心血管・生殖) | 多発神経炎・動脈硬化促進・精神症状 |
| クロロホルム | 中枢神経抑制 | 肝・腎毒性 | 中毒性肝炎・腎障害 |
| メタノール | 中枢神経抑制 | 視神経障害(蟻酸蓄積) | 視力障害・失明・代謝性アシドーシス |
| ベンゼン | 中枢神経抑制 | 骨髄毒性・造血器への発がん性 | 再生不良性貧血・白血病 |
各選択肢の正誤と根拠:
- ア(誤): n-ヘキサンの最も重要な慢性毒性は末梢神経障害(多発性神経炎)。体内でヘキサンジオンという代謝産物に変換されこれが神経毒性を示す。肝障害は主毒性ではない。
- イ(誤): トルエンの慢性毒性の中心は中枢神経症状(頭痛・めまい・記憶力低下・精神症状等)であり、「肝・腎毒性が慢性毒性の中心である」という記述は誤りです。トルエンに肝・腎への影響がないわけではありませんが、慢性毒性の中心とまでは言えません。「特異的な末梢神経障害が認められない」という前半の記述自体は正しいものの、後半の「肝・腎毒性が中心」という断定が誤りであるため、選択肢全体としては誤りとなります。
- ウ(正): クロロホルムは肝・腎への特異的毒性で確立。これは職業医学の教科書的知識。
- エ(誤): 二硫化炭素は上気道選択毒性ではなく、中枢神経・末梢神経・心血管系(動脈硬化促進)・生殖毒性(精子形成障害)という多臓器毒性が特徴。
- オ(誤): メタノールが代謝されて生じる蟻酸は強い毒性を持ち、視神経障害(失明)と代謝性アシドーシスを引き起こす。「蟻酸の毒性は弱い」は誤り。
【理論的背景】
有機溶剤は共通して「脂溶性が高く・揮発性がある」という物理化学的性質を持つため、いずれも中枢神経系に対して急性抑制作用を示します。しかし慢性曝露の影響は溶剤の種類によって大きく異なり、それぞれの化学構造・代謝産物の毒性が特定の臓器・組織に選択的に作用します。この「臓器選択毒性」の違いを正確に把握することが職業病の原因同定・適切な健康管理の鍵となります。
n-ヘキサンの末梢神経障害の分子機序:
n-ヘキサン(CH₃(CH₂)₄CH₃)は体内で酸化代謝を受け、2-ヘキサノール→2,5-ヘキサンジオン(γ-ジケトン)へと変換されます。この2,5-ヘキサンジオンが軸索輸送に関与するタンパク質(ニューロフィラメント等)のリジン残基とピロール環を形成して架橋することで、軸索の微細構造を破壊します。その結果、長い軸索(手足の末端に延びる軸索)を持つ末梢神経が障害されます。
- 臨床症状: 手袋・靴下型の感覚障害(しびれ・感覚低下)・遠位優位の筋力低下・反射低下
- 発症の特徴: 曝露中止後しばらくしてから症状が悪化するという「coasting(海岸効果)」が知られている(曝露中止後も代謝産物が残存するため)
- 回復: 曝露中止で徐々に回復するが、重篤な場合は不完全回復
メタノール中毒の視神経障害の分子機序:
エタノールと構造が似るメタノール(CH₃OH)は体内でアルコール脱水素酵素によってホルムアルデヒド→さらに蟻酸(HCOOH)へと酸化されます。蟻酸はミトコンドリアの酸化的リン酸化を阻害(シトクロムCオキシダーゼの抑制)し、特に代謝活性が高い視神経乳頭・網膜の視細胞に対して強い毒性を発揮します。
- 臨床症状: 飲酒後12〜24時間後に(潜伏期後)視力障害が出現・代謝性アシドーシス(アニオンギャップ増大)
- エタノールの拮抗効果: エタノールはアルコール脱水素酵素に対する親和性がメタノールより高いため、メタノール中毒にエタノールを投与することで代謝(毒性代謝産物の生成)を遅延させる治療が行われる
【実務・条文構造】
有機溶剤中毒予防規則(有機則)における有機溶剤の区分:
第1種有機溶剤(最も揮発性・毒性が高い・容器に黄色表示):
- クロロホルム・四塩化炭素・1,2-ジクロロエタン等の塩素系溶剤(肝腎毒性が強いものが多い)
第2種有機溶剤(一般的な有機溶剤・容器に赤色表示):
- トルエン・キシレン・酢酸エチル・メタノール・ジクロロメタン等(最も種類が多い)
第3種有機溶剤(揮発性が低い・容器に青色表示):
- ガソリン・コールタールナフサ・ミネラルスピリット等
n-ヘキサンは有機則の第2種有機溶剤に分類されますが、末梢神経障害の観点から特に長期曝露管理が重要です。
生物学的モニタリングの指標(代謝産物による曝露評価):
- n-ヘキサン曝露 → 尿中2,5-ヘキサンジオン(神経毒性代謝産物そのもの)が測定指標
- トルエン曝露 → 尿中馬尿酸または尿中オルトクレゾール
- キシレン曝露 → 尿中メチル馬尿酸
- メタノール曝露 → 尿中蟻酸(蟻酸メタノール代謝産物)
【試験での位置づけ】
有機溶剤各論問題の最頻出は「n-ヘキサン=末梢神経障害(肝障害ではない)」「二硫化炭素=多臓器毒性(神経・心血管・生殖)」「メタノール=視神経障害+代謝性アシドーシス(蟻酸が強毒性)」「クロロホルム=肝腎毒性(第1種有機溶剤)」「ベンゼン=骨髄毒性・白血病・再生不良性貧血(がん原性)」の5点です。アのような「n-ヘキサン=肝障害」という誤りは最頻出の引っかけで、「n-ヘキサン=手袋靴下型末梢神経障害」というセットで記憶することが重要です。
【各選択肢の発展補足】
- ア: n-ヘキサンの末梢神経障害(多発性神経炎)は接着剤製造・靴製造・印刷業等での集団曝露による職業病として1960〜1970年代に日本で多数報告され、その後研究が進んで分子機序が解明されました。現在でも接着剤を使用するクリーニング業・印刷業・靴製造業等で散発的な発症事例が報告されています。
- イ: トルエンは有機溶剤中毒の原因物質として最も頻度が高く、シンナー(トルエン含有塗料シンナー)乱用による神経・精神障害が社会問題となった歴史があります。シンナー乱用(吸引濃度が極めて高い急性大量曝露)では脳白質の変性(白質脳症)が生じることがあり、これは職業性の低濃度慢性曝露とは異なる病態です。
- エ: 二硫化炭素(CS₂)の多臓器毒性の特徴: レーヨン(ビスコース製造)・ゴム加硫等の製造業で古くから知られた職業病。動脈硬化促進(早期の冠動脈疾患・脳血管疾患)は他の有機溶剤にはない特異的な毒性で、CS₂曝露労働者の心筋梗塞・脳卒中リスクが上昇することが疫学研究で確認されています。生殖毒性(精子形成障害・月経不順)も特徴的な毒性の一つです。
- オ: 「メタノールはエタノールと化学的に似ているが毒性は全く異なる」という対比が重要です。エタノール(アルコール飲料のアルコール)は体内で酢酸まで代謝されるため肝障害はあっても視神経障害は起きません。メタノールはほんわずかな量(数mLから十数mL)でも失明に至る可能性があり、自家製酒・粗製アルコール飲料(密造酒)での誤飲中毒事例が世界的に発生しています。
【根拠】職業医学的事実(有機溶剤各論・確立した知識)。n-ヘキサンの末梢神経障害(ヘキサンジオン経由)・クロロホルムの肝腎毒性・メタノールの視神経障害(蟻酸毒性)・二硫化炭素の多臓器毒性は職業医学の確立した知識。有機溶剤中毒予防規則(区分・色別)。
【補足】ウ(正): クロロホルム=肝腎毒性(中枢神経抑制+肝腎への特異的毒性)。ア(誤): n-ヘキサン=末梢神経障害(肝障害ではない)。エ(誤): CS₂=多臓器毒性(上気道ではない)。オ(誤): メタノールの蟻酸=強い毒性(視神経障害・失明)。
本問は合格ナビが作成したオリジナル問題です(公表問題の転載ではありません)。 根拠・出典:根拠: 職業医学的事実(確立した有機溶剤各論の知識)。n-ヘキサン=末梢神経障害(主毒性)・CS₂=多臓器毒性(神経・循環器・生殖毒性)・クロロホルム=肝腎毒性・メタノール=視神経障害(蟻酸の毒性)は職業医学の確立した知識。 現行の労働安全衛生法令(2026年基準)に準拠し、根拠法令・規則を明記しています。